開幕まで1000日を切った2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)。大阪府・大阪市特別顧問(万博担当)を務める橋爪紳也・大阪公立大学特別教授は、当初の計画案の立案において中心的役割を果たし、これまで開催された万博においてもパビリオンなどのアドバイザーとして携わってきた。橋爪教授は万博を機に大阪を国際都市とするためには、「閉幕後も見据えた戦略が必要」と指摘しながら、従来とは違った博覧会を示せるかどうかを問われている―とする。その橋爪教授に、前回のドバイ万博の検証とともに、大阪・関西万博の意義や開催都市としての在り方などについて聞いた。
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ドバイ万博視察 |
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■万博開催まで1000日を切りましたが、まずは開催国としての受け入れ体制について。 |
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今回は日本がホストとして会場を用意して世界各国の展示を受け入れることになります。開催国は通常、前回と前々回の博覧会をベンチマークとして方向性を見いだします。ただ、新型コロナウイルスの影響により、ドバイ万博は1年遅れての開催となり、これにより2023年に南米では初めての開催を予定していたアルゼンチンのブエノスアイレス国際博覧会が中止になりました。
今年3月末まで開催されたドバイ万博についても、コロナ禍により視察回数が制限されたため、関係者はドバイの現場を十分に確認することができませんでした。そのため、近年の国際博覧会の動向把握が不十分なまま、短期間で各国を迎える準備をしなければならない状況です。
また、大阪・関西万博では、フィジカルとサイバーが融合した博覧会として、2025年の段階では世界がリモートで結ばれ、様々な新しい世界が見られるとして誘致を進めてきました。しかし、コロナパンデミックにより、世界中がリモートでつながり、働き方も劇的に変化し、想定よりも早いスピードでデジタル化が進展した。これにより2025年に想定していた世界がそれよりも早く現実化してしまったといえます。
国際博覧会は、その時代の世界の在り方の縮図であり、近未来都市の仮の姿を表すことが大前提にあります。大阪・関西万博では2025年に未来社会の在り方を示すもので、想定より早いデジタル化が進展する中で、それを示さなければならなくなった。
例えば、1970年の大阪万博はアジア初となる国際博覧会でした。マルチ映像や巨大映像などを中心とした情報化社会における博覧会のモデルを示し、万博史上、最大の入場者数を記録しました。そして2010年の上海万博では、この入場者数をベンチマークとし、いかにして大阪万博を超えるのかを最大の目標としていました。一方、日本で2回目となった愛知万博(2005年)では、自然環境と文明のつながりが示されましたが、21世紀からの万博に関しては、人類が共通して直面している課題をどう解決するのかを重視したテーマ設定が求められるようになりました。
これらの経緯を辿る中で、大阪・関西万博は、従来とは違った博覧会を示せるかどうかが問われていると思います。 |
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■大阪のベンチマークとなるドバイ万博を視察されました。どういった感想をお持ちですか。 |
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私は日本館の基本構想立案に専門家として参加したことから、今年2月に1週間滞在し、7割以上のパビリオンを見てまわりました。ドバイ万博は、会場面積が博覧会史上最も広く、全ての参加国が、自前や博覧会協会が用意したものも含め、それぞれがパビリオンを持つという、これも博覧会史上初めてのものとなりました。
博覧会では通常、主催国とビジネスで関係を深めたい各国の企業が協賛し官民で自国のパビリオンを出展します。国としてのドバイは、自国の人たちは1〜2割程度しか居住していなくて、大半は世界中から集まってきたビジネス関係者が占めています。特に、マレーシアやフィリピン、バングラデシュなどからは多くの労働者が滞在しており、それらの人たちが自国のパビリオンを誇らしげに見学していました。他のイスラム圏の国々もしかりです。これはドバイと連携したい国が多いということを意味しています。こういった面からもドバイ万博は、従来にはなかった規模感であり、コロナ禍にあっても国際的な雰囲気に満ちあふれ、それぞれの国が博覧会を盛り上げていました。 |
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■会場の活気が伝わってきます。 |
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さらにドバイ万博の特徴として、パビリオンの8割が本設建物であったことが挙げられます。これは会場の跡地利用計画が先に策定されていたからです。メイン広場の横にはホテルやオフィスビルが建ち並び、また、アクセスとなる地下鉄の駅前にはメッセ会場となる巨大な展示館が整備され、駅の反対側には住宅棟があり、万博期間中は関係者用の住宅として使用され、終了後には集合住宅に転用されます。
万博開催前に8割以上の土地利用計画が決まっており、MICEを中心に関連するスタートアップ企業が集積するオフィス街を形成するというまちづくり計画が先にあり、そのための暫定利用として博覧会を開催したものです。会場規模は、大阪・関西万博で想定する規模の3〜4倍はあり、パビリオンが林立する中心部のエリアも同様に広大で一週間ではとてもまわりきれませんでした。 |
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■ドバイはすさまじいスケールだったのですね。規模では太刀打ちできそうにありません。 |
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大阪・関西万博では、ドバイをベンチマークにいかに新しい万博を提示できるのか。会場も展示施設の面積も狭い。跡地利用も確定しておらず、本設建物も少ない。しかも、現在は建設資材も高騰する中で工事を進めざるを得ない状況でもあります。
またドバイ万博では、関係者住宅が会場に近接し、ゼネコンやメンテナンス業者らの仮設オフィスもその周辺にあるなど博覧会の運営上必要なものが会場周辺にまさに張り付いていた。さらに各国のパビリオンの裏側や会場周辺のバックヤードにもそういったスペースが十分に確保されていました。
大阪・関西万博の会場である夢洲の場合、活用できる余剰地が極めて少ない上、コンテナ埠頭周辺の渋滞問題も抱えていますし、並行してIRの建設工事にも取り組まないといけない。つまり、渋滞緩和はもとより、スタッフをはじめとする万博関係者の住宅や工事関係者のオフィスをどう確保するかが重要な課題となります。 |
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特別な半年間 |
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■確かに万博を契機に土地利用を考えるか、土地利用計画に組み入れるかでは大きく違ってきますね。ソフト面についてはいかがですか。 |
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2025年には博覧会場だけでなく、まち全体で国際都市・大阪をアピールすることはもちろんですが、関西全域で会期中の特別な半年間を盛り上げ、万博を訪れた際には、USJや京都、奈良、和歌山など関西各地にも足を運んでもらえる仕組みづくりが必要です。
その一方、大阪・関西万博は5年に1回開催される大規模な登録博覧会でもあります。会期中は世界の国々との交流や訪日客との触れ合いを図るなど特別な期間となり、そういった機運を醸成することも大事です。さらに会期中には世界のVIPも訪れ、様々なセレモニーが開かれます。
先程も言いましたが、開催国とビジネスで関係を深めたい海外企業も自国のパビリオンに協賛し参加しています。このためパビリオン内にレセプションルームが設けられ、VIPや主要なビジネスパートナーを招待し、パビリオン見学やビジネスミーティングなどが行われ、それらが新たなビジネスチャンスにつながっていくことから、そこで何を見せるのかを考える必要があると思っています。 |
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■ところで、国際博覧会がドバイで開かれた意義については。 |
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ドバイ万博は、UAE(アラブ首長国連邦)建国50周年の記念イベントとして位置付けられており、さらにはアフリカ・中近東・南アジアでは初の国際博覧会(登録博)であることを謳いました。
これまで万国博覧会は、南米や東南アジア、ロシアなどでは開催されておらず、BIE(博覧会国際事務局)では国際博覧会を世界に広げていきたいとの考えがあります。国際博覧会の歴史にあってドバイ万博は一つのベンチマークとなり、今後の博覧会がドバイを超えるものを目指すのか、あるいは異なったタイプを目指すのか。選択が求められます。
ただ、万博自体は今後も各国で開催され、既に2030年の開催国の立候補は締め切られ、来年には決定します。立候補しているのは、韓国の釜山、イタリアのローマ、サウジアラビアのリアド、ウクライナのオデッサです。モスクワは取り下げました。ロシアは過去に何度も立候補しましたが、いまだ国際博覧会の開催を果たせていない。それだけに2030年のモスクワ誘致が注目されていました。しかし、ウクライナ侵攻後に撤回しました。私はリアドが有力ではないかとみています。上海万博でもドバイ万博でも、サウジアラビアは気合いの入った展示を行っていましたから。 |
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真の国際化を果たすために
開催した意義共有 都心部を変えるチャンス
世界の企業・人が集まる魅力都市へ |
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ポスト万博 |
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■万博を機に大阪を国際都市にするとの期待もあります。 |
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万博終了後に大阪がどう変わるのか。そこを考えることが大切です。大きくは「世界から注目される国際都市になる」とのイメージを共有し、そのための準備を整えること。また、新たなライフサイエンスや関連産業が万博をきっかけに広がったということも具体的に示さないといけない。会場は半年間でなくなるため、万博で提示した新たな試みを、終了後は実際にまちの中でモデルとして見せていく。博覧会を開催した都市というだけではなく、それによって大阪のまちが良くなったと。国際イベントを実施したことの意義を明確に示すことが必要です。
70年の大阪万博では、大阪は一時的に国際都市なりました。万博開催中、ニューヨークのホテルの客室にある海外の電話案内には、東京や京都に次いで千里の市外局番が記載されていたそうです。しかし、その後、大阪の国際化が著しく発展をみたとは言い難い。
大阪・関西万博では、世界の人が関西に注目することで真の国際化を果たさないといけません。訪日外国人観光客が増えるという予測もありますが、例えばスペインのサラゴサ万博(2008年)、韓国の麗水万博(2012年)、あるいは中央アジア初として注目されたカザフスタンのアスタナ万博(2017年)に興味を持った日本人がどれだけいたのかを考えてほしい。私はこれらの博覧会は日本ではほとんど話題にもならなかったと思っています。ただ近隣の国々で注目はされていた。同様の状況は大阪・関西万博でも想定されます。やはり、中国や台湾、韓国など近隣の国々からの誘客を図ることが極めて重要です。 |
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■確かにその通りですね。 |
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具体例を挙げると、サラゴサ万博ではヨーロッパの国々を主なターゲットに定め、世界中から多数の観光客を集めようという意識はあまりなかった。ところが、日本人の多くは万博を見るために世界中から人が訪れ、インバウンドが劇的に増えると思っているのではないでしょうか。
必ずしも、そうではありません。海外からの観光客の殆どは万博を見るために来日するのではなく、まず日本各地をめぐることが目的です。そして、滞在中に1日くらいは万博にも立ち寄ると。それが現実だと考えています。
もっとも、私は万博が関西での滞在日数を増やすことにつながるとみています。繰り返すようですが、そのためには万博期間中に関西各地で集客イベントを開催するなど仕掛けが大切です。例えば兵庫県では、知事が兵庫県を一つのパビリオンとする「フィールドミュージアム構想」を打ち出しており、2025年に向けて県内各地の魅力向上に関する検討を始めています。このような発想はとても重要です。
先例としては、愛知万博の時に名古屋市では「新世紀・名古屋城博」を開催しました。名古屋城の天守閣からおろした金シャチが展示され、実際に手でさわれることから好評を博しました。そのほか、名古屋駅の操車場跡地でポケモンの遊園地もつくっていました。これらの取組みにより、博覧会を見た後に名古屋市内を訪れる人がたくさんいたことを思い出します。 |
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インフラ整備 |
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■活性化のためには万博だけに頼っていてはいけないと。 |
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では、万博での成功とは何なのか。単に入場者の数だけでは評価できない。ミラノ(2015年)からアスタナ、ドバイという国際博覧会の流れの中で、大阪・関西万博の存在感を示さなければならないと思います。このためドバイでの成果をきちんと評価し、そのうえで、ドバイでできなかったことを大阪でやってみせることです。
ドバイには世界中から莫大な投資が集まっている。マンションでもオフィスでも、工事着工段階で完売し、竣工までには何度か転売が行われている。万博会場の立地についても港湾地区に近く、UAEの首都であるアブダビとの間に位置し、将来的に発展が見込まれるエリアです。このため万博会場の跡地利用についても、国土全体の中で、どのように活用するかを決めた上で開催し、国際展示場を中心とした新しい都市機能を集積させています。
上海万博では、河川沿いにあった工業地帯と港湾機能を集約して市街化する契機になりました。また、アスタナ万博は、黒川紀章先生が都市計画を立案した首都機能移転を機に開催されたもので会場跡地は国際コンベンション機能を持ったエリアとしました。大阪では、会場跡地を含むベイエリアをどうするかです。 |
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■夢洲では国際観光拠点とする構想があります。 |
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IRとともに、夢洲だけでなく咲洲と舞洲との連携、USJも含めた一体的な将来計画が必要でしょう。しかし新型コロナのパンデミックの影響により情勢が変わった。会場跡地利用をどういったレガシーとするのか。それについてもなかなか決まらない。ドバイやアスタナ、上海のように跡地利用が決まっていれば、道路や施設などのインフラ整備も本設で整備することができます。
ベイエリア全体のイメージでは、夢洲、舞洲、咲洲と神戸や淡路との連携、さらに長期的には大阪湾全体のデザインを描く必要があります。私は大阪府市が設置した「新しいまちづくりのグランドデザイン策定に向けた有識者懇話会」の委員も務めており、
70年の大阪万博で整備された社会インフラが更新時期を迎えていることから、今回の万博を機に再整備しようとする考えを提案しています。 |
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■前回の大阪万博の時も、それを機に社会インフラの整備が一気に進みました。 |
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前回の万博では、阪神高速道路全線と伊丹空港の国際化、府内の環状道路と放射道路、堺筋線や中央線、谷町線などの地下鉄のネットワークや北大阪急行が、きわめて短期間に整備されました。
次の万博では、大阪の都心部を活性化させるチャンスだと捉えています。世界では今、20世紀型の産業都市をいかに魅力的な都市に変えるかの競争が始まっています。その中では、都心部の車両を規制し、人間中心の歩いて楽しめる賑わいづくりに向かっています。人が住みやすく教育環境が整っていれば世界中の企業が本社機能を移し、能力のある人たちが集まってくれば、新しい企業や産業も生まれてきます。
そういった形に大阪の都心部を変えるチャンスが万博です。会場内で未来都市の実験をするのであれば、同時に梅田や難波、御堂筋、中之島などでも実施する。万博は期間限定のため、さらに先を見据えた取組みが不可欠です。いわば会場はショーケースになります。5年先、10年先も大阪が今よりも発展する都市魅力の向上を、今こそ真剣に考えないといけない。万博の成功が目的ではなく、あくまでも将来の発展を見据えた通過点であると考えるべきでしょう。
大阪を、世界の魅力ある都市のリストに載せていきたい。企業の本社機能が流出し、主たる基幹産業のない人口だけが多い都市ではダメです。いろいろな人がチャンスを求めて集まり、学び、キャリアを積んで、そこで起業する。
結果として投資が集まり、また世界的な企業も注目する。そのような大阪に向かって取組みを進めなければならない。どの分野の産業を伸ばすのか、どのようにして人を集めるかを考える必要があります。 |
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■いろいろと示唆に富んだお話をありがとうございました。これからも万博はもとより、大阪、関西の成長と活性化へのアドバイザーとしてご尽力ください。 |
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橋爪紳也(はしづめ・しんや)京都大学工学部建築学科卒、同大大学院工学研究科修士課程修了(建築学専攻)、大阪大学大学院工学研究科博士課程修了(環境工学専攻)、現在は、大阪公立大学・研究推進機構特別教授、観光産業戦略研究所長、
京阪ホールディングス社外取締役、大阪府・大阪市特別顧問。また、国際博覧会誘致推進検討会委員長等も務めた。日本都市計画学会賞、日本観光研究学会賞、日本建築学会賞など受賞歴、著作多数。大阪市出身。61歳。 |
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