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 大阪府漁業協同組合連合会代表理事会長       【2019年07月29日掲載】
 大阪府鰮巾着網漁業協同組合  岡修代表理事組合長

新たな賑わい拠点「みなとオアシス岸和田」

「都会の漁師」が挑むまちおこし、

大阪No.1の漁港を核に


 今年4月、国土交通省から登録認可された「みなとオアシス岸和田」。文化・商業等とともに漁業を融合させた新たな賑わい拠点で、岸和田市が設置者となり市内の各施設で構成される。この取組みの推進役となったのが、大阪府鰮巾着網漁業協同組合。同組合では、岡修代表理事組合長のリーダーシップの下、従来の相対取引からセリ取引への移行など、担い手確保に向けた改革を進める。また、都会の漁師≠ニして「岸和田の魚を全国へ」を掲げながら、漁港と直結したマルシェやフリーマーケットで港に賑わいを呼んでいる。大阪府漁業協同組合連合会代表理事会長でもあるその岡代表理事組合長に、これまでの取組みの経緯や「岸和田に活気を取り戻したい」とする思いを聞いた。

■初めに魚価向上に向けた入札場開設の経緯から。

 2015年にイカナゴ・しらす専用の入札場として開設しました。これは、私が代表理事組合長に就任する以前から、若い漁師と勉強会を続けていた中で、若い人から入札制度を取り入れてほしいとの意見が多くあり、大阪府漁連に要望しましたが当時は実現しなかった。そのため、まずは、我々の組合単独として仮設の入札場を設置したことが始まりです。
 1年目のイカナゴ漁は、大阪にある船びき業68ヶ統のうち、19ヶ統でスタートし、成果があったことから、同年中には45ヶ統にまで増えました。これは入札により値段が安定してきたことによります。これまでは漁師と加工業者が直接取引(相対取引)していましたが、その場合、値段は加工業者の言い値でした。私自身も、何とかその状況を変えたいとの思いは強くあり、若い漁師達がその後押しをしてくれました。
 また、事務等を担当するスタッフなど、周りが助けてくれたことも大きかった。勿論、魚が売れ残ったらとか、加工業者が反発しないかとか、不安はありました。ただ、これは後先考えずに進んでいくといった私自身の性格もあって実行したわけです。

■その後、各種の施設も増やしていった。

  「大阪産シラス」のブランド確立
      入札場開設で価格が安定若い漁師の生活にゆとり

 当初、大阪府港湾局の所有地のうち約2382平方メートル(現在は7832平方メートル)を借り上げて、バラック建ての入札場を整備しましたが、漁獲量が増えるにつれ、その保管場所等も必要となってきた。そこで水産庁の浜の活力再生プラン(浜プラン)を活用して、5年計画で施設整備を行うこととしました。水産庁としても同プランの推進に力を入れていることもあり、我々の取組みと合致したことで、すんなりと話はまとまりました。
 ただ、土地利用に関しては、府港湾局では平成29年4月から用途変更を認めるとしていましたが、それより先に広域再生プランの進捗が認められ、水産庁の働きかけもあり平成28年5月に前倒しされることになりました。

■トップダウンですね。国が力を入れていることが分かります。

 その背景には、シラス漁に関しては、大阪が漁獲高も漁獲量も日本一であることが大きい。平成30年度では約27億円の売上がありました。施設の整備効果では、水揚げから入札までがスピーディになり、衛生面も向上したほか、なにより鮮度保持が格段に良くなった。今後は、大阪産(もん)のシラスとして勝負していきます。これまでは大阪で獲れたシラスを他県産として販売していましたが、それを本当の大阪産としてやっていきたい。

■漁師さんを見ていると若い人が多いですが。

 現在、船びきの漁師は週休3日です。操業時間も日の出から10時までと決めています。以前の薄利多売から、売れる分だけ獲ればいいと、時間を設定し、獲り過ぎも制限した。入札制としたことで魚価が上がり収入が安定し、休みも取れることで若者を雇用することができた。高齢の漁師も自ら漁に出なくてもやっていけるようになった。
 また、入札場(入札値)の状況はスマホ等でリアルタイムで漁師に伝えられることから、自分の売上が把握でき、何が売れているかを漁師間で情報共有することができます。

■マルシェ(海鮮市場)に取り組むこととなった経緯は。

 市場施設を除いた土地が遊休地となっていたことから、その有効利用を検討していく中で、市場と関連した飲食施設を作ろうと考えたのがマルシェです。設置にあたっては、我々の組合と近隣の漁業組合が出店しました。オープン当初は、なかなか人が集まらず、このためイベント開催など、いろんなことでPRもし、3年目あたりからお客さんが来るようになってきた。今では市内はもとより、他県からも来てくれるようになりました。
 また組合会館1階の組合直営の食堂にも来店者が増えた。もともとは漁師用に営業していたが、マルシェとともに人気が出て、昼時には行列ができるようになった。シラス漁が解禁となる5月以降は特に多くなっている。

■マルシェでは、近隣組合と連携して地域を盛り上げる様子が伺えます。そのきっかけについては。

 水産庁が推進する広域浜プランでは、各地域の漁協が連携し強い水産業にすることが目的とされている。そのため、これまでの組合独自による漁から入札、加工販売までの取組みではなく、今後は近隣組合とも共同で事業を進めていこうと。そんな思いから参加を呼びかけました。それに、これは私自身の思いですが、岸和田の商店街が活気を無くしつつあったことから、これをどうにかして盛り上げていきたかったこともある。浜が賑わえば、商店街も賑わうだろうと。
 大阪での万博の誘致が決まり、IRの誘致も期待が高まる中、そういった流れに我々も乗っていきたい。勿論、組合だけでなく、市や府にも動いてもらわなければならず、そういった面でも働きかけていこうと考えています。

■なるほど。

 今では漁獲高で府内の約8割を占め、マルシェ等で賑わいも出てきた。今後はこれを強みとして「都会の漁師」として売り方を考えていきたい。岸和田市は大都市ではないが、空港にも近く、道路網も発達しており、その日のうちに東京へも持って行ける。生シラスをその日のうちに鮮度を保ったまま提供できます。
 まき網漁に関しては、大阪の漁獲量はそれほどでもないが、他の組合とは、売り方等での考え方が違うというか、やはり商売人の感覚があると思っている。
 また、商社と組んで鮮魚を冷凍して東南アジアへも輸出している。大阪ではこういった取組みをいち早く進めており、全漁連でも驚いていた。そしてこれまでの取組みが評価され、浜プランの優良事例として水産庁長官賞を受賞した。

■確かに先進事例となる取組みです。

 やはり施設を集約(競り場開設)したことで、魚も集まり、加工業者も集まってきたことで、買い手市場から売り手市場となったことも大きな要因だろう。これにより漁のスタイルも大きく変わった。我々の時代は、お盆と正月、悪天候以外は漁に出ていたが、今は、まき網漁で週2日、船引きで週3日は休んでおり、漁の時間も決まっている。
 また収入が安定したことにより親方が若い人を雇うことができ、休みと給料が固定できたことが大きい。底びき漁の場合は2人でできるため、両親が現役の時は息子達がセリ場やマルシェで働き、両親が引退すれば漁に出るか若い者を雇う、といったサイクルができた。

■そのための工夫とかは。

 特別に何かしたわけではない。仲買人に営業をかけたりして増やしていくなどの努力もありますが、それほど苦労したという実感はなかった。ただ、セリ場ができたことにより、仲買人も効率が良くなった。それまで漁が終わるのを待って取引していたが、今は必要な時に必要なものだけを買って帰れば良くなった。

■4月にはみなとオアシス岸和田が登録されました。この契機になったのは。

 山口県の萩市に「萩しーまーと」という道の駅があり、2016年に見学に行きました。ここでは地元商品の販売とともに野菜や魚を売る市場が併設されており、これをヒントに、こちらでもできないかと考えたことが始まりです。その後、道の駅を管轄する国土交通省と大阪府港湾局、岸和田市とともに勉強会を1年程かけて行いました。
 その中で、道の駅として登録するには土地要件等でクリアできなかったが、国交省から「みなとオアシスでやりませんか」と提案をいただいた。そこで岸和田市が漁業だけでなく、周辺商店街等の地域活性化を目的に積極的に動き出しました。私個人としても、商店街を何とかしたいとの思いはあり、市が設置者となることとし、運営協議会は鰮巾着組合、浪切ホール、ベイサイドモール岸和田カンカンで構成し、各施設も含めて登録することになりました。

■その効果は。

 市が港まつりとして漁港を利用した花火大会等の動きが始まりました。これまでもだんじり祭はありましたが、あくまで地元民だけの祭であるとの意識が強かった。しかしこれからは観光的な要素も考えていく必要もあるだろう。 また、クルーズ船の寄港や関空から泉州、和歌山、淡路島方面の経由地としてアクセス船も出せればいいと思っており、オアシス登録を契機に駐車場等の周辺施設が整備され、遊覧船の船着き場等も整備されればと思っている。

■地元の活性化に向け、これからもご尽力下さい。

 
 
 


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