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大阪市港湾局 藪内弘局長  【平成29年03月27日掲載】

大阪港開港150年 世界に向け限りない発展へ

阪神港として競争力強化

クルーズ客船の誘致にも力


 今年、開港150年を迎える大阪港。明治・大正・昭和・平成とそれぞれの時代を背景に、都市とともに発展し、現在では、国際競争力を備えた阪神港として、神戸港とともに我が国の経済や物流活動を支える役割を果たしている。大阪港を管理する大阪市港湾局では、国際インフラとして港湾機能の拡充・強化に努めながら、臨海部開発の取組みも進めているが、その陣頭に立つ藪内弘局長に、大阪港の歩みや今後の展望等を聞いた。

大阪港の成り立ち

■まず、大阪港の成り立ちからお聞かせ下さい。

 大阪港は、大阪が商業都市から産業都市に転換する明治時代に、安治川上流に開港されたことが始まりです。しかし河川港であり大型船が入港できず、時を同じくして開港した神戸港に船が移っていってしまいました。このため本格的な近代港湾を目指して整備されたのが築港です。整備にあたっては、オランダ人技師のデ・レーケや初代築港事務所長を務めた西村捨三等が携わり、天保山桟橋はじめ埠頭が整備された大正時代から昭和初期にかけては、貨物取扱量が日本一になるなど、大阪の産業を支える重要なインフラでした。
 また、当時需要が増加し、それに伴い上屋を整備することが求められました。これには、大阪の荷主をはじめ民間企業から要請があったことから、それら企業との共同事業として、今でいうPPP的な仕組みを作って実施されました。戦後は、輸入中心の港として、特に中国をはじめとしたアジア諸国との航路が多くなるなど、時代の移り変わりとともに荷動きも変化してきました。
 大阪港の特徴として、港湾部と都市部が一体的に計画開発されてきたと思います。都市側では都市部の課題解決のために大阪港を活用し、港湾側でも都市部をサポートするような土地利用を打ち出すなど、都市部とともに成長してきた港ではないかと思います。

■近代港湾の始まりとなったのは、やはり南港開発からですか。

 臨海部開発のスタートですね。臨海部の埋立は元々埠頭用地を確保することから始まりました
が、南港に関しては当初、工業用地として計画されました。しかし、社会情勢が変化し需要が見込めなくなってきた一方、都市部での住宅や環境等の問題が顕在化し、廃棄物の処分地確保が必要となるなど都市問題を解消するための役割が課せられました。このため、埋立をする以上はその用地を有効活用しようと、言わば一石二鳥の考えで、時代の要請に応える形で土地の利用計画を見直してきました。
 現在では、咲洲、舞洲、夢洲と三つの人工島が造成され、雇用やビジネスが生まれております。特に咲洲コスモスクエア地区では、業務施設だけでなく、住宅や商業施設など、用途をミックスした開発を行っています。また、舞洲ではスポーツと物流、夢洲では国際観光拠点と物流など多機能な土地利用を進めています。

■なるほど。

 これは、住宅・業務他の機能と物流などは土地利用上、本来なら平面的に分離することが求められますが、大阪港の形状等から難しい面もある。そのため空間を複合的に使うため色々工夫してきましたが、蓄積として、まちづくりのノウハウがあったから実現したと思います。
 また交通アクセスに関しても、夢咲トンネルには鉄道敷設用の躯体をすでに整備しており、此花大橋と夢舞大橋は片側3車線に拡幅もできるようになっています。いずれも将来の土地利用に伴う交通需要を見込んで計画したものであり、建設当時は無駄遣いと批判を受けましたが、これら基盤が整備されているからこそ、万博やIR誘致につながっています。こういった開発には、長期的なビジョンが必要であり、将来に向けた投資を継続することが不可欠です。そういった面でも夢洲をはじめとする臨海部の果たす役割には今後も大きなものがあると思います。アジア諸港を視察しても、港に活力のある都市は発展を続けています。

港湾整備について

■本来の機能である港湾整備については。

 コンテナ関係は神戸港とともに阪神港として国際競争力のある港づくりを進めており、将来を見据えて夢洲のC延伸部の整備や、施設の耐震補強と主航路の増深等は継続して行っていきます。
 特に夢洲Cの延伸部の岸壁が完成したことは大きく、今後はいかに岸壁延長1350メートルのコンテナターミナルとして効率を上げていくか。また、阪神港として海外からの貨物や旅客を集めるために、神戸港と共同戦線を張れる部分では共に取組みを進めていきます。
 フェリー埠頭については船舶の大型化に対応して、ターミナルの機能の充実を行います。内貿では、フェリーをはじめとする船舶へのモーダルシフトで需要は増えてくると予想され、それに沿った機能拡充を行います。上屋等の事業については、施設の老朽化が進んでおり、来年度から経営計画の策定に着手していきます。
 また、クルーズ客船の誘致が港に賑わいをもたらすので、大阪港を母港にしてもらえるよう努力しています。府営港湾とも連携協約を締結し、広域化を進めます。このように、今やっておかなければならないことは、山のようにあります。

■建設業界に対して期待することがありましたら。

 港湾で働くことが、若い人に人気がなく、技術者も減少しているのではないかと危機感を強く持っています。海洋国家日本を支える港湾の役割は大きいはずです。
 特に技術の継承では、先程も言いましたが、大阪市では港湾開発に限らず、まちづくりに関して150年のノウハウが蓄積されてきましたが、今後もそれが継承していけるかどうか。建設業界においても努力されていると思いますが、それぞれの企業単位で、この問題解決は困難な部分もあります。
 実際に港湾工事が減少する中では、若い技術者が現場を見る機会も少なくなくなってきました。このため産学官が一緒になって見学会等を通じて経験をシェアすることも必要ではないかと思います。現場を知ることだけでなく知識をシェアすることが重要です。市港湾局では、海外出張の後は、府の港湾局も交えた報告会を行うなど、他組織との意見交換を通じて互いに技術力を高めるようにしています。建設業界にも企業の垣根を越えた若手育成の取組みをお願いしたいですね。

■最後に開港150年を迎えるにあたって何かありましたら。

 開港150年は大切な節目の年です。様々なイベント・社会実験を実施しますが、一過性に終わらせないよう取り組みたい。この機会に、特に大阪港の正史とも言うべき、きっちりとした資料、記録を残すことが重要だと思っています。築港に関する記録としては、大阪築港100年と題した年史が編纂されています。これには、各時代における大阪港が果たしてきた役割や先人達の足跡が記されているだけでなく、港湾整備に関する設計図面や工事の技術まで収められており、単なる年史ではなく、技術書としても現在の大阪港を考える上で非常に重要で役に立つ資料となっています。これも一つの技術の伝承であると思います。この年史以後の20年間に培われてきた歴史をプラスして、この開港150年を契機として後世に残していくことも我々の重要な使命であると思っています。

■ありがとうございました。

藪内弘(やぶうち・ひろむ)
昭和58年4月大阪市採用、都市整備局、建設局を経て、平成3年4月計画局計画部開発計画課主査、同8年4月同都市計画課施設係長、同10年4月計画調整局企画調整部副参事(竃ゥ町開発センター出向)、同12年4月同企画調整部参事、同13年4月港湾局企画振興部企画主幹、同14年4月同企画振興部開発課長、同19年4月同計画整備部計画担当課長、同20年4月計画調整局都市再生プロジェクト担当部長、同21年4月同大阪駅周辺等開発担当部長、同22年4月港湾局臨海地域活性化室長、同25年4月同計画整備部長、同28年4月から現職に。58歳。


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