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NPО法人「浪速鳶伝統保存会」宍戸健二理事長(宍戸組代表)  【平成26年07月28日掲載】

「浪速鳶伝統保存会」に熱い視線

【木遣り】【纏】【梯子乗り】

日本の美意識「火消し文化」を継承


 日本の伝統技能を継承するNPО法人「浪速鳶伝統保存会」の活動が国内外で注目を集めている。江戸の「火消し文化」を現代に伝えていこうというもので、大阪で専門工事の鳶職人が活動するのは初めての試み。その「木遣り」「纏」「梯子乗り」の習得に日々研鑽を重ね、いまや国内のイベント行事で多彩な技を披露しているほか、アメリカのヒューストンでも日米文化交流に大きく貢献し、成果を挙げている。そこで、NPО法人の理事長で浪速鳶伝統保存会を結成した鳶工事の宍戸健二・宍戸組代表に、その目的や伝統技能継承などについて聞いてみた。

■はじめに浪速鳶伝統保存会を結成された目的や活動内容についてお伺いします。

 「20年ほど前から鳶職の伝統技能の継承に興味がありながら、大阪には継承した団体もなく、何とか復活させたいと思いました。平成21年の東京での消防殉職者慰霊祭の視察を皮切りに、江戸消防記念会および会長の協力を得ながら自主練習など日々研鑽を重ね、浪速の地に『伝統技能』『火消しの心(義理・人情・痩せ我慢)』を継承していこうという熱い魂と高い志を持った集団です。結成から約4年の活動を経て、平成25年8月14日に浪速鳶伝統保存会はNPО法人となりました。今まで培ってきた経験、実績をもとに海外文化交流を通じて、鳶職の若手育成と伝統技能の継承に励み、国内では施設や地域イベントに積極的に参加し、活性化に努めています」

■日本独特の「火消し文化」なのですね。

 「はい。江戸時代に町火消しがつくられて以来、先人から伝わる火消しの文化です。大阪ではあまり馴染みがありませんが、火消しの精神というのは日本人の持つ美意識を強く象徴していると思います。これから、ますます世界が日本の文化に対して興味を持たれていくと言われていますから、火消し文化もその一つと考えています」

■大阪には伝統技能が伝わっていない。

 「大阪では、このような動きはしていません。自治的な活動もないと思います。そもそも浪速鳶伝統保存会結成の発端は、鳶の教育的な部分が大きい。技術を深めるのも、深めないのも自分次第です。温故知新じゃありませんが、せっかく鳶職の私たちにしか出来ない伝統がありますからね。それを大阪にも伝えていかなければならないと思いました。そして私が関東(群馬県)の出身ということもあります。大阪に来て違和感があったのは、ある上棟式に出席した時のこと。木遣り唄などは歌わなかった。その時、アレっと思いましたね。関東では木遣り唄の一つでも歌うのが普通ですが、こちらには伝わっていないのか、もったいないと思いました」

■鳶職も火消し文化継承の一翼を担っているのですね。

 「私は若い頃から現場を任されていました。関東では、いつも上棟式や最後に建物が竣工した時、揃いの半纏を纏い、お酒も入り、木遣り唄を歌いながら皆さんと喜びを分かち合ったものです。しかし、こちらに来て、何も歌わないのは寂しいと感じました。何とか大阪にもその伝統を伝えたいと。古い人たちを尋ねても、大阪には火消しの伝統が全然伝わっていないことが分かりました。そのため一番歴史のある一般社団法人江戸消防記念会に教わりにいくのが一番よいのではないかと思いました。最初は私一人で動いていましたが、その後、宍戸組の若い職人にも声をかけました。その江戸消防記念会の企画では、毎年、東京で5月25日に消防殉職者慰霊祭が行われます。猛火の中に身を挺し職に殉じた人たちを、後世に伝えて永久に弔慰しようと、消防関係者や有志の賛助によって明治45年に建立されたものです。その慰霊祭には、消防総監や東京都知事など、そうそうたるメンバーが参加されます。そこへ若い職人数人を連れていき、梯子乗りなどを見学させました。技をやっているのは、みんな鳶職。会社には九州出身の者が多く、根っからの大阪出身の職人は少ない。そのためか、意外にすんなりと皆が受け入れてくれて、私たちもやろうという気になりましたね」

■江戸消防記念会の協力が大きかった。

 「はい。江戸消防記念会は、1区から11区まで分かれています。1区は東京駅周辺、5区は浅草の浅草寺といったように再編されています。また、その中にも1番組から10番組までの『組』があります。7区とか8区など、あまり大きくない区に関しては6番組までしかありませんが・・・。
 昔、江戸時代に『め組』とか『は組』といわれたものですね。最初、その江戸消防記念会の事務局に、私たちに技を教えてくださいと手紙を書き、電話もしました。その時は事務局から一蹴されました。筋を立てて挨拶に来なければいけないと。そして東京に行きました。東京には月2回、1年半ほど、先行投資のつもりで通いました。その後、驚いたことに、会長と組の頭が大阪に来ていただき、実際、住吉のスポーツセンターで技を教えていただきました」

■何年前のことですか。

 「5年前になりますかね。若い職人も一生懸命でしたね。日々研鑽を重ね、技の習得に努めました。その本気度が江戸消防記念会に伝わったのでしょう。1年半後には東京での消防出初式に呼んでいただけるようになりました。そこで初めて一人前として認められたわけです。大阪での最初の技能の披露は住吉の成人式でした。皆さんが住吉で練習していたのを見ていたのでしょうね。その後、少しずつイベントなどで声がかかるようになりました」

 
 国内外で多彩な技を披露

 ヒューストンで日米文化交流にも貢献

■それでは具体的に伝統技能の技についてお聞きします。

 「伝統技能で、まず大事なのは木遣り(きやり)、次いで纏(まとい)、最後に梯子乗り(はしごのり)の順で、この3つで構成されています。木遣りは元来が作業唄で、複数の人員で仕事をする時、その力を1つにまとめるための掛け声、合図として歌われたものです。曲は真鶴のほか、地・くさり物・追掛け物など8種110曲もあります。纏のルーツは15世紀頃と言われ、戦場で侍大将の馬印でしたが、これを町火消誕生後に組の旗印として取り入れ、纏のぼりと言われました。梯子乗りは昔から庶民に親しまれ、現代でも正月の風物詩として人気を博している伝統技術です。梯子乗りの形は大きく3種類に分けられ、これを細分すると48種類にものぼります」

■梯子乗りも様々な技があるのですね。

 「梯子乗りは若い一番元気な者、纏はプライドを持っている者、木遣り唄はそれを卒業した先輩がそれぞれ行います。木遣り唄はなかなか一朝一夕ではいかない。口でしか教えてくれませんし、習得するのに一番時間がかかります。それを歌えるか、歌えないかで火消しの値打ちが違う。東京では無形文化財のように扱われています。ですから教育的な面とチームワークが必要となります。梯子乗りだけをとっても、6メートル30センチあり、命綱はありません。命がけで乗っている者と、下で支えている者との息がぴったり合わなければ落下します。だから若い者も含めて全員、低い梯子で基本技を徹底的に練習させます。上の者がどういった技を行いたいのか、また、どういうふうに梯子が揺れるのかが分からないと、上の者と下で支えている者との息が合わない。それを仕事にフィードバックして活かせばチームワークが良い会社と言われるようになるわけです。副産物的な部分もありますが、私たちも狙っていた以上の効果は出てきています」

■NPО法人にされたのは?

 「海外からも声がかかるようになりまた。平成24年4月15日に日米文化交流の一環としてヒューストン『ASIAHOUSE』で木遣り、梯子乗りを披露しました。こうした文化的な側面に、私たちも関わることが出来るのであれば、このチャンスを活かしていこうと思いました」

■ヒューストンでの披露とはすごいですね。国内でのイベント行事にも数多く参加されている。

 「ヒューストンに呼んでいただいたのは、アジア協会という力のある協会で、日本の領事館を通じ、1週間程度滞在していました。アメリカの日本人会などからも多数見学に来られ、大きな拍手もいただきました。また、ロックフェラー3世とも記念撮影をしました。これはより良い経験になりましたね。国内では大阪府建団連の50周年記念行事で梯子乗りの演技をしたほか、平成24年8月25日に公開された佐藤健主演『るろうに剣心』に出演しました。また、昨年11月3日の文化の日に開催された『だんじり祭りin大阪城2013』で梯子乗りを演技し、今年は天神祭にも関わることになりました。さらに藤保育園では、昨年に引き続き卒業式で演技を披露します。このほか今年も、だんじり祭りなど、今後、恒例行事となりそうなスケジュールが入っています。仕事に影響しすぎると困りますが・・・」

■大阪にも伝統技能が浸透してきたということですね。意識が高まっている気がします。

 「伝統技能の継承は、お金が目当てではありません。声をかけていただければ、いつでも、どこへでも参加します。日本、海外であろうが、国内外で経験を積むことが非常に大事なことだと思っています」

■職人としての意識について。

 「皆さんにはプライドをもってほしい。私たちも出会いを大切にしています。木遣り唄を歌えば、文化人的な側面をみていただける。これは鳶職にとって大きい。また、大阪府建団連の北浦年一会長さんなどとの繋がりを持てたのは、浪速鳶伝統保存会を通じて、直接、お話をさせていただける機会が得られたものと思っています」

■様々な面で効果がある。

 「天神祭などで、声がかかるようになってきたのは有難いことです。ベトナムやカンボジアなどとも、ジャイカ(JICA、国際協力機構)の組織を通じて交流できればと思います。東京の出初式に参加できるレベルまで上達している社員も数人います。木遣りは奥が深い。年配になればなるほど良い声がでます。世の中に貢献できるのは、やはりインフラの整備だと思いますが、また、こうした活動を通じて喜んでいただける、人に役に立つ精神というのが、どこかで繋がっているように思います。ある施設では、お年寄りの人が『初めて見ました』といって泣いて喜んでいただきました。そうした光景をみると、私たちもやりがいがありますし、嬉しいですね。ビデオを見てマネするのと、東京に教わりに行って技を習得したのとは全然違う。最初は大きな会社の人がマネされたらどうしようかと心配していました。しかし、私たちは、質の高い技を取得していますからマネができない。その自信はあります」

■この活動を通じて宍戸組の力も確実に高まっている。

 「そうですね。ブランド力を高める一つの戦略ですね。北浦会長などからも、御堂筋でも披露を、と積極的に応援していただいており、私たちも方向性としては間違っていなかったと思います」

■最後に今後の方針を。

 「今後も地元の祭りなどのイベント行事に関わるのと、文化的な側面で海外交流を常に視野に入れています。そして、さらに技を深め熟成させて、最終的には300人程度まで拡大させたい。東京には約600人おられます。また、地元の消防団とも連携を深め、大阪の文化と融合させていきたいと思っています」



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