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兵庫県建設業協会 前川容洋会長  【平成24年11月5日掲載】

社会保険加入問題の実情を語る

地方の現場にそぐわぬ政策に懸念

建設生産システムの実質機能混乱の不安


 雇用保険・健康保険・厚生年金の労働三保険への加入を目指した取り組みが推進される中、兵庫県建設業協会の前川容洋会長は「現在の生産システムを考慮していない」と疑義を唱える。職人の処遇改善は必要とながらも、請負制度という業態の中にあって、特に地方建設業者は一人親方を含む職人への依存度が高いだけに危機感を募らせる。「地域の事情や現場の状況を理解していない、一方的なやり方には納得できない」とする前川会長に、県内の実情や課題について語ってもらった。
       (聞き手・渡辺真也)

■保険加入問題について、県下の現状も踏まえながら、先ずは率直な意見からお聞かせください。

 保険未加入業者の排除は、東京から考えた施策であり、地方の実際の現場を理解した上で熟慮のシミュレートを重ねられたとも思えず、中央で決定したから実行するという状況には大きな不安すら感じます。実際、現場で働いていただいている大方の職人(特殊な労災、国民保険に加入されていますが、雇用保険や年金に加入されていない。)は一人親方や少人数企業に属した方々です。一般に建設工事は、元請が受注し、各工種別の専門業者に第一次下請として発注され、資材や機械を提供し、安全や技能技術の資格を持った担当者の管理のもと、工期、仕事量に合わせ一人親方を含む小企業職人集団を適切な数だけ集めて施工していただいているのが実態であります。
 元請・一次下請はほぼ保険に加入しています。ここで一次下請をする専門業者が職人を多数常庸できない理由は、他の製造業と違い常庸職人に毎日安定した仕事を提供できないこと、つまり経営が安定しないことに起因します。一方、職人グループ側は、多くの一次専門業者と関係を保ち、急激な建設投資額の減少という中で必要量の仕事を確保するという、ある種合理的な建設生産システムが出来上がったと考えます。
 このような状況下で未加入企業を排除する強制的な政策を実施することは、建設生産システムの末端の実質機能が潰れてしまう恐れがありますし、少なくとも大きな混乱が起きると思います。安定した経営が出来ていない中で強制されるなら、廃業する、生活保護を受けた方がよいといったことにならなければよいのですが。
 今、国のやらなければならないことは、長期に亘るデフレからの脱却、日本企業の国内空洞化の原因である六重苦を解消し、景気を浮揚させること。すなわち国民の安全と安心の為の公共事業に積極的かつ計画的に取り組むことであると思います。

安定的な仕事量が絶対

■人材の確保と育成にはコストがかかる。

 要するに、将来も含め安定的な仕事量が見込めれば、雇用の意欲も出て、社会保険に限らず人材育成の経費は勿論、社員のための福利厚生費も惜しむことはないと思います。しかし、建設投資額が減少し「コンクリートから人へ」のスローガンの下、将来の工事量の増加が見込めない不安定な状況下では、これらのことは一般的に困難と思われます。大手の下請として、ある程度経営が安定し、多くの労働者を抱えている企業でも受注が増えると他所から応援をもらう。その時、地域の少数の職人集団に頼む。現場を実際に動かしているのはこの人達であり、それを一言で「だめだ」と言えるのか。現場の建設生産システムに混乱を起こさない配慮をした中での改善が必要であります。種々の結果を想定しシミュレーションした上で取り組むべきと考えます。
 職人さんからは優秀な職長の下で勉強したいという声を聞きますし、若者の中には修行して早く親方になりたいと思っている人もいると聞きます。アメリカでは各種ユニオンを通じて、能力に応じた技能工を雇用するのだそうです。国が未加入企業を使うなという施策のみを進めていくとして、建設投資額が現状でほぼ42兆円、その内、公共投資が国直轄工事五兆円を合わせ約17兆円、残りの25兆円が民間投資となっていますが、民間工事は激烈な価格競争の渦中にあり、これを含め本当に統制が取れ、国の描く政策どおりに、しかも同時にうまく収まるのか。タイムラグが生じると不公平感から、大きな混乱も起こります。
 これまで、地方建設業者や専門工事業者を集めて説明会が開催されています。そこで「社会保険料を設計に積算するから実施してほしい」と言えば、「未加入企業の排除をしましょう」ということになります。しかし、地元の末端企業までいくと「誰が毎日働ける仕事を約束してくれるのか。その保険料を誰が保証してくれるのか。直轄以外の工事ではどうなるのか。自社だけが社会保険加入を先行して実施したら経営破綻しないか」など、不安な現実に戻るようであります。もし、社会保険料の積算計上が直轄工事のみなら、その公共工事を多く受注する企業と、そうでない企業の間の不公平が生じ、施策の完全実施も困難となり、単に混乱を起こすだけということになるのではないでしょうか。

親方になりたい若者も

■しかし、保険もないようなところに人はきません。

 保険負担を一律に平等にするというのであれば、民間も含めタイムラグ無く直轄工事で考えられていることが実施されねばなりません。また、不平等が起こらない工事発注(総合評価の名の下、受注業者の固定化が進んでいます)も必要ですし、他産業で起こっている人件費の安価な国へのシフト(国内産業空洞化)問題の解決、景気浮揚策が先決であり、企業が安定経営でき、日本が繁栄する環境づくりこそ大切です。1996年以降、デフレ不況とともに建設投資額は大幅に減少しましたが、そんな環境でも職人さんの世界に入ってくる若者はものづくりに携わりたいという人達です。特に専門工事で親方になれることに魅力を感じている若者もいます。必ずしも保険加入にこだわっているとは思われません。そういった夢を持って入職してくる若者を元請、下請が一緒になって育てていくスキームこそ必要です。しかし29歳以下の就業者が12%、55歳以上が32%という建設業の現状は、毎年、就業者が確実に減っていくということです。特に職人が技能を修得し一人前になるには5年から10年掛かるとすれば、今すぐに不足している工種から若者の入職と育成を考え、方策を講じていかなければなりません。それが出来なければ元請、下請専門工事業者が受注した工事を工期どおりに完成させることが不可能となることであり、早晩、建設生産システムの崩壊を招きます。
 一方、その過程において、需要と供給のバランスという市場原理により、その工種の施工費は自然に上昇することも事実でしょう。今、震災復興特需で入札不調が始まっているのは、このことの証明に他なりません。そうなると職人さんの報酬も上昇します。しかし職人さんは単に処遇を求めるだけでなく、腕を磨きたいという向上心も強く、ものづくりに対する誇りもあり、そのための努力も惜しみません。そういった点から、私は職人さんは単なる労働者ではなく、芸術家であり、経営者としてマネジメントもでき、自分の能力に応じて稼ぎたいという欲求を持っていると思っています。それをどう触発していくか、我々がその仕組みを考え、PRすることで若者の入職を促すべきだと思っています。
 先程の需給バランスの調整機能と、努力すれば高い報酬が得られることがあれば人は努力する、これは人が労働意欲を持つ基本であり、その中で福利厚生面も自ずと根付いてくると思います。小さな建設企業も職人に会社に残ってもらうための優遇策を講じるに違いありません。それを政策で一方的、一律的に「あれやれ、これやらないと会社を潰すぞ」ということになると、形だけ法に適うようにしたり、会社をこの際廃業し、生活保護を貰ったほうがましだといった流れや優遇の不公平が表面化して混乱が起きるのではないでしょうか。国は自然に正しい流れが出来るように民間に刺激を与える程度で、今ある建設生産システムを破壊するような強制は必要ないのではないでしょうか。

シミュレーション必要

■保険加入は職人さんの処遇改善を通じ若い人の入職を促すことが目的の一つです。

 確かに若い人に入職を促すことは「再生方策2011」の目的の一つです。しかし現実として一人親方を認めていますし、従業員が4人以下の一人親方は特例とされています。そうすると、それ以上、人は増やさないでおこうとか、会社を分割して法に適うようにするとかの動きが、既に始まっているとも聞きます。また、少しでも手取りを多くしようとして一人親方が出来てきた経緯を踏まえると、給料の中から保険料を引き去り、手取りを減らすことも出来ません。これらのことは職人さんの処遇改善や若者を含む新規入職者を増やすという本来の趣旨に反する結果を生むのではないでしょうか。
 もっと地域の事情や現場の状況を理解し、知恵を出し、聞く耳を持ってあらゆるシミュレーションをした上で、方針を決めて頂きたいと強く望みます。一律の統制から地域の自由な発想を生かし、今の窮状を回避できる方法を皆で考えるべきと考えます。
 先程、仕事が続いてなければ建設業は成り立たないと言いましたが、例えば、日本、いや世界最古の建設業である「金剛組」は四天王寺のお抱え業者であったことから1400年も続いているわけです。ここに労働と経営の一つの基本を見る気がします。
 何度も言いますが、民間の市場で成立し行っていることを、いくらスローガンが良くても、国が乱すようなことをしてもらっては困るわけです。最も国にしてもらいたいことは景気を良くすることであり、民間を含めた建設投資を増やす政策です。併せて、建設業で働くことが「誇り」になるようにすることです。
 国が業者のレベルアップを図ることは必要でしょう。その上で、どうしようもないような業者は排除しても止むを得ませんが、特定の企業だけ優遇しようというやり方は不公平だと思います。建設企業はそれぞれ必死で努力していると思います。少人数の職人集団についても同じだと信じています。

民間の力で自然に調整

■保険加入企業が未加入企業と同じ土俵に立つことについては。

 それは、社会保険加入経費分だけ工事原価が高くなり、競争で不利という意見でしょうが、どちらの企業が多いか少ないかによる面もあります。業者を選定する基準は、技術力があり安全管理も徹底していて良い仕事を迅速に行う業者を選ぶことになるのではないでしょうか。工事原価については、労働者の能率や手直しなどの無駄の排除等で十分対応できると考えられます。保険への加入、未加入の差の問題は、むしろ、作為が感じられます。
 建設業の特徴は「請負」であり、仕事を取っていくらの世界です。連続して取れることもあれば、そうでない時もある。人手不足であれば他所に頼むこともある。この様な中で「重層構造」は駄目の理屈は成り立たないし、かえって、それぞれの経営の安定のためにも必要かも知れません。民間に任せていれば問題点、矛盾点は自然に調整されると思います。

職人不足は日本の危機

■職人さん不足は実感されているか。

 全ての工種で聞こえてきます。特に型枠大工、鉄筋工が不足し、工期にも影響が出始めているようですし、設備関係も単価が上がり始めているようです。職人の不足は受注しても施工が出来ない、建設生産システムの崩壊というという大変なことになります。こういった状況の中で南海トラフ大地震などが発災すれば、復旧・復興への対応も出来ず、まさに日本沈没になるのではと心配します。このようなことが現実とならないように規制と排除の論理でなく、我々皆がこの問題を真剣に考え、解決策を見つけださねばなりません。国はそのために民間のアイデアをうまく引き出していただき、支援していただければと思います。現実を出発点として建設業に従事する者が夢と希望を持って働き、若者がやりがいを持って働いてくれる業界とするため、心からこのことを希望します。



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